なぜ双子化なのか?

銀塩からではなく、IT の方面からデジタルカメラの道に入った。最初に買ったカメラは、フィルムカメラではなく、カシオのQV-10。
その頃にはすでにPhotoshop も世に出ていた。手に入れたPhotoshop の参考書は、タイトルはもう忘れてしまったが、「大好きなあの子と自分の写真を合成してデート写真を作ろう」という、今思えばこっ恥ずかしい内容のものだった。
だから僕の写真の歴史は、ほぼ合成写真の歴史と重なる。
学生時代には、QV-10 だったり、もう少し後に出たCyber-shot やFinePix だったりをいつもバッグに入れていた。地方への貧乏旅行のお供だった。

そんな時期に、中部地方のどこかで、自分とそっくりな赤の他人に会ったことがある。
「すごく似てる人がいるよ」
それだけで、なんだか興味が湧いてわざわざ電車に乗って会いに行った。
彼の顔を見て、咄嗟に言葉がでないくらいには似ていた。
目の前にもうひとりの自分がいるというのは、なんとも不思議な感覚だった。まるで幽体離脱をしたかのよう。
「主観」と「客観」がグルっと逆転する。
同時にふと思った。世に居る双子の人たちは、こんなふうに「主観」と「客観」が入り混じった世界線で生きているのだろうか、と。

いつしか、僕は双子の合成写真を作りはじめた。双子ではない一人の人物を重ね合わせ、双子にしてみる。
表現したいのは、「主観」と「客観」のゆがみ。そのゆがみから何かが立ち現れてくるかもしれない、と感じるのだ。
ライトノベルなどでは、しばしば「時空のゆがみ」のようなものが登場し、そこからはこの世のものではない何かが出てきたりする。
果たして、「主観」と「客観」のゆがみからは何が生まれてくるだろうか。
好奇心という名の" 怖いもの見たさ" で、僕は双子を作り続ける。
『ジョシフタゴカケイカク』内コラム
「なぜ双子化なのか?」より
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